長崎市 歯科【大平歯科】スタッフ紹介

長崎市 大平歯科
長崎市大平歯科 診療時間
TEL 095-861-2372
〒852-8002 長崎市弁天町15-15
院長 大平孝造
略歴
平成19年 九州歯科大学歯学部卒業 歯科医師免許取得
その後 九州歯科大学歯科麻酔科医局に所属し
九州歯科大学付属病院にて研修課程修了
小倉記念病院・産業医科大学付属病院 麻酔科医科研修修了
平成21年 歯科麻酔認定医取得
平成22年 福岡県開業医にて勤務医として勤める
平成25年 長崎に帰省 大平歯科 勤務開始  現在に至る
 3代目 大平 孝造とは?
1 少年時代
祖父の代(1935年)から続く老舗歯科医院の長男坊として1980年8月18日の早朝に誕生。
稲佐幼稚園、稲佐小学校と地元の学校に通いながら、習い事もせずにひたすら外で遊び続けていたのを思い出します。小さい子供が好き勝手に1人で遊びまわれるなんて今とは時代が違いました。
 
とっても記憶に残っている鮮明な体験があります。4歳くらいの頃でしょうか?一見トゲがないように見える大きな立派なサボテンの木がありました。サボテンステーキにできそうな肉厚な葉っぱを私は取ろうと素手で挑みます。もちろんすぐには取れません。思いっきり握りしめ、ツイスト作戦、チョップ作戦、色々と試します。やっとこさ取れて誇らしげに母に見せるとめちゃくちゃ怒られました。直後からめちゃくちゃ痒いし痛いし泣きました。だからか、私はサボテンを見ると今でもゾワゾワしてしまいます。
 
それなのに当院の入り口と植え込みにはサボテンがびっしりで、中にも飾ってあります。もちろん父の趣味と猫除けのためなのですが、正直毎日ゾワゾワしています(泣)
小学校の頃は勉強をあまりしなくても、何でかテストの成績は良く、体育も結構得意で、モテなかったけど楽しい小学生ライフを送っていました(^◇^)
 
自分的にはスポーツ刈りのつもりが、後々友人に聞くと坊主と思われていたのには驚愕した笑い話もあったりします(泣泣)。近所の怖い床屋に勇気を出して「長めにしてください!」と言っていたのがバカみたいですね。
楽しい思い出もたくさんありますが、1番鮮明に残っているのは「ランパンパン事件」です。
 
あれは4年生の頃だったと思います。夏休みの課題図書で「ランパンパン」という本を読むことになりました。クラスでどんどん読んでは回していくことに。私は読み終わったあとで、後ろの本棚に返したのに先生から返すように言われました。返したことを伝えても図書係に返したわけでなく「ランパンパン」も無いので責められたんです。誰かが取って名乗り出なかったんでしょうね。その時に先生が皆のカバンを調べたらすっきりしたのかもしれませんが、何かうやむやに終わらせてしまって私は疑われたままという嫌〜な結末です。きっと取った子もすっきりしてないだろうけどホッとしてたのかな。今でも本屋で「ランパンパン」を見かけると思い出すほろ苦い思い出です。
 
私には娘が2人います。今でも鮮明に記憶に残っている事件が起きた頃の私と同じくらいの年齢です。
子供の成長を目の当たりにしつつ、自分の少年時代のことを考えると、子供もしっかりと色々なことを考えながら成長しているんだと実感します。真摯に向き合って、いい思い出を作ってあげられるように思いやりを持って接することが大切ですね。
2 中学時代(私立海星中学校)
そんな毎日を過ごしていた私がととんでもない決断をすることになります。海星中学校という私立中学に入学してしまいました。父の母校だった流れでの乱心でした。この学校、現在は男女共学の青春を送れる普通の学校になっていますが、当時はバリバリの男子校で1学年1クラスしかありませんでした。上下関係がめちゃくちゃ厳しく、こわーい経験もたくさん(汗)。
 
頭髪検査も厳しくて坊主に近い刈り上げ君な日々を過ごしました。中学時代=サッカー部のような毎日を送っていた気がします。勉強は進学クラスといいつつ並でした。Jリーグ発足直後のサッカー人気からサッカー部に入部。スパイク入れは東京ベルディでしたね〜。
 
あの頃はカズやラモスがいて強かったんですよ!30人いないクラスの大半がサッカー部でしたが、弱小サッカー部で負けてばっかりだったのを思い出します。監督は陸上出身の体育の先生で今考えると指導も大変だったろうし、家族を犠牲に大変な努力をされていたなと尊敬です。勝てないメンツを毎週練習試合に連れて行ってくれたし、休みの日も練習はみっちりありました。私はたまにずる休みしていました(秘)。
 
当時長崎市内で1番強いって言われていた中学校と練習試合をやっては何度も負け続ける、サッカー王国島原に弱いのに殴り込み練習試合をやって完敗するといった調子でした。だけど監督の情熱があればチームは強くなるんでしょうね。最後の最後は長崎市の中総体で3位になれました。私は左ウィングでしたが、サッカー観戦で足を引っ張っている左MFを見ると何となく共感してしまう時があります(笑)。
 
県大会には行けずに悔しい思いはしましたが、私の中ではとても良い思い出になっています。ちなみに、その後海星中学サッカー部はどんどん強くなって県大会、九州大会に出場する常勝チームになっていきました。出身者に実はJリーガーもいたりするのは秘密です。
3 高校時代(私立海星高等学校)
海星中学からのエスカレーターで海星高校に入学しました。もちろん男子校です。これによって6年間男子校という大変な色のない青春時代が進みました。形式上は進学クラスだったため部活は運動系には入部できず、ボランティア部に入部しました。ボランティア部はインターアクト部として他の学校との連携活動があり、素敵な出会いを期待していたのは秘密です。何の出会いもありませんでしたけどね(笑)
 
市内にある孤児院マリア園にもよく遊びにいきました。
障害者の方々と一緒にレクリエーションをしたりといった活動にも参加しました。
献血の呼びかけもしょっちゅうやっていました。
手話も練習しました、今は全く覚えていません(喝)。
若気の至りでうまくできないこともたくさんありましたが、経験することは良いことだと学びました。
 
高校時代を振り返ると、「楽しかった」です。先生達も皆癖はあるけど良い先生で、学校中で誰もが授業中でさえも下ネタトークばっかり。学校が長崎オランダ坂の近くということもあり、家路もにぎやかで色々と楽しかったです。あの頃はガンダムやエヴァンゲリオンにもはまりました。週末に友人たちが私の自宅に来て、何時間もくだらない話をしながら特大エヴァパズルを作ったのも楽しい思い出です。海外映画も好きでクラスメート男5人くらいでタイタニックを観にいったこともありました。皆男です(泣)。恥ずかしげもなく感動しちゃいました(笑)。
 
化学の先生から誘われて断れずアマチュア無線なんてものもやっちゃったこともありました。「CQ,CQ,CQ、・・・・」 携帯なんてなかった時代の楽しい娯楽です。やり取りした見知らぬ人と後日、名刺代わりのカード交換なんていう制度もあるし、先生に連れられ数人で県民の森の山奥へ。何でかわかりますか?電波がよく入るからです。外国の電波を受信できたりと宝探し感があるんですね。はっきり言って怪しい集団なんですが、自分たちが楽しければ無問題って感覚でした。まぁ、楽しかったのは顧問の先生だけだっただろうというのは秘密ですけどねwww
 
ちなみにこれ、免許がいるんでやりたい方は講習受けないといけませんよ(驚)
4 大学受験、曲がりくねった道の先
そんな毎日を過ごす中、高校二年生の頃には「歯医者」になろうと心に決めていました。歯科医師という仕事に誇りを持って患者さんのために妥協を許さず頑張る父親の背中がとてもかっこよく見えたからです。
 
あと、歯医者の長男坊だったので、歯医者になるのが1番自然な流れのように感じていたのかもしれません。
歯医者に対するイメージも現実よりもかなり盛っていたのも事実です。
 
想いはあったし頑張っていた気にはなっていましたが、志望校に合格・・・できず、私は浪人することになります。
しかも2年も(泣)
しかし、この無駄に思える2年間は今でも私の中でかけがえのない素晴らしい思い出になっています。
〜1年目〜
長崎で「努力は実る」で有名なK予備校に通いました。浪人生という世間に後ろめたいような身分ではありましたが、本当に1年間一生懸命来る日も来る日も勉強しました。本当に軍隊みたいな日々でした。しかも寮に入れてもらっていたためテレビを全く見ない日々。ラジオが友達でした。めちゃくちゃしんどい毎日でしたが、まわりが皆一心不乱に合格という目標に向けて努力する中で揉まれるのは心地よくもありました。まぁ、勉強だけとは言いつつ同年代の仲間が一緒だったので楽しいこともたっくさんありました。中高と男子校だったため一応共学というのも嬉しかったなぁ(笑)。
 
厳しくも楽しい毎日の中で私の成績は少しずつ上がっていきます。確実ではなかったけど、合格できるかもという五分五分の戦いに挑み結果、また不合格(泣)。
 
気持ち的にはドン底を味わいます。父とも喧嘩したりと自分の力不足ながらも難しい時期でした。
今でも忘れられない思い出があります。K予備の男子寮は本当に厳しくて、寮則に反したらこわ〜い罰が待っていました。寮生の数人が夜中に夜鍋をしているのが見つかり(本当の鍋です)、寮長激怒!怒涛の鉄拳制裁でボコボコニにされた上にしばらく実家へ送られました(退寮)。私が実際に知っているのは、夜中のすさまじい怒鳴り声と鉄拳の炸裂音、そして朝彼らはいなかったという事実だけなんですけどね(怖)。
 
実はその夜鍋会、誘われたけど気分が乗らずに参加しなかったのは秘密です。想像するだけどゾクッとしますね。
そんな寮長との最後の思い出が今でも忘れられません。どんどん合格が決まって寮の仲間達は喜び勇んで親元へ帰っていきます。合格できないとずっと寮に残ります。どんどん少なくなっていき最後には5人くらいになったんじゃないかと思います。そして合格できなかった皆が寮で過ごす最後の夜、何とも言えない気持ちで考えに耽っていた私たちのもとに寮長がやってきました。寮の中では食堂以外飲食禁止です。そんな中で寮長はピザやジュース(お酒?があったかは覚えていませんが)を用意してくれて部屋の前で色々な話を聞かせてくれました。厳しくておっそろしかった寮長はとてもいい人でした。
 
「この1年頑張ってきた努力を俺は見てきた。1年なんて長い人生の中ではほんの一瞬だ。目標が大きいほど道は険しいけど諦めずに努力し続ければきっと届くさ」といった内容のことを言われた気がします。
追い詰められた焦りのような感覚を抱きつつ、避難できる場所での最後の夜は素敵な夜でした。
〜2年目〜
厳しい2浪目という現実の中、私はわがままにも、また変な決断をしました。
またK予備校での浪人生活ではありますが、山口県小郡市、新幹線の駅があるだけのど田舎での寮に入っての勉強漬けの日々が始まりました。知り合いは一切いない、見知らぬ土地、ゼロからの出直しの気持ちでの再出発です。県外の予備校、寮にまで入れてくれた両親には感謝しています。あの頃は本当に生意気な態度をとって申し訳なかったと今でも反省です。
 
私の心境は背水の陣。全てをこの1年に賭けようと1年目以上に一心不乱に頑張りました。寮でも友達なんて作らん。勉強のみという意気込みで頑張りましたが、結果的には素敵な仲間たちに囲まれながらきついんだけど充実した日々を過ごすことができました。2年目だから「先輩」とか呼ばれちゃいながら(笑)
 
成績は順調に伸びていき最後にはドキドキ感はあったものの無事問題なく合格することができました。
終わりよかったことが美化させているのかもしれませんが、この1年は本当に色々なことを考えて成長できた1年間だったと思います。
 
夜に1人で福山雅治さんの魂のラジオを聴きながら、桜坂を題材に新生活を満喫する学生の話を毎週聞き、10年後の自分について考えたり、人生について若輩ながら素朴に考えたりしていました。現在に至るまでの人生の中で純粋にそんなことを考えまくったのはこの時期くらいかも(しみじみ)。いい思い出です。
 
そんな中で特に思い出に特に残っている出来事を1つ。
K予備校の寮は勉強を休みません。朝から晩までみっちり勉強スケジュールが決まっていました。予備校の授業が休みの日も午前中は自習があり、午後の数時間は自由があるものの、朝から全く勉強しないでいい休日なんてものはありませんでした。しかし、年に1回か2回、フリーデイとい言われる日がありました。今思うと単なる日曜日なんです。でも、それがめちゃくちゃ貴重な時間に感じられました。その日が来るのが楽しみで、どう使おうか色々と考えに考えました。そして私は「よし、洞窟に行ってみよう!」と朝っぱらから秋芳洞に向かいました。
 
バスで40分ほどで行けたことと、昔からすごい鍾乳洞だと知っていたからです。以前行ったこともあったのですが、この日、私は恐怖の時間を過ごすことになりました。秋芳洞は約1キロの洞窟内の道のりを散策できます。通常はツアー客などでにぎわう美しい空間が広がっているのですが、私は早く来すぎました。
 
1キロの道のり、誰もいない鍾乳洞を1人でひたすら進みました。めちゃくちゃ怖いですよ(涙)
自然のすごさを肌で感じました。ライトが消えたら死んでしまうなとか考えたりもしましたね(笑)
ちなみに歩きながらMDプレイヤーで聞いていた曲はスピッツでした。スピッツの曲が無ければ逃げ出していたかもしれません(笑)。今でもスピッツは大好きです^^
あなたが洞窟に行くときは時間を考えていってくださいねwww
5 大学時代(公立 九州歯科大学)
回り道はしたものの、志望校であった九州歯科大学に合格し夢の大学生活が始まりました。
大学時代を振り返ると1番多くの時間を費やして頑張ってきたものは部活動だったと思います。
 
勉強も頑張って留年や国試浪人なく歯科医師になることができましたが、やはり部活を1番頑張っていました。九州歯科大学の学生は、ほぼ何かしらの部活に入っていました。上下のつながりや横のつながりを求めての風習のようなものがありましたが、皆が一生懸命に各々の部活を頑張っていました。私は弓道部に入部しました。
 
入部の動機は先輩たちの袴姿が凛々しくてカッコいいなって思ったことと、何か競技として面白そうだなって思ったことでしょうか。決して綺麗な巫女さんのような先輩に引き寄せられたわけではありません(汗)。
 
入部の動機はさて置き、1年生の春から5年生の夏までの5年以上の歳月を弓道に集中しました。素敵な師範、頼もしい先輩、かわいい後輩、入部以来ずっと二人三脚で頑張った最高の同期に恵まれて、たくさん悩むこともあったけど、それ以上に多くの喜びと学びがありました。鏡の前に立つ度に弓道の型を考え込んでしまうことも習慣になっていましたね。同じ距離、同じ環境で同じようにやっても、外す気がしない時もあれば、当たる気がしない時もある。精神力って大事だなと実感する日々でした。なかなか試合で結果を出せない時期もありました。やめたいなと思った時期も正直ありました。
 
でも、あきらめずに続けていった先、最終的には5年生の時のオールデンタル(最後の歯科学生の体育大会)で主管を頑張りながらバタバタの中で、個人戦3位という結果で締めることができました。長年お世話になった師範の目の前で最後の晴れ姿を見せられたことは、とても嬉しかったのを覚えています。欲を言えば、もうちょい頑張って優勝しろといったところでしょうが、私らしくてそれもありだなと満足です。大学から全くの初心者で始めた私でしたが、引退の時の最終段位は参段でした。
 
今でもよく覚えている師範の言葉があります。スランプのような状況に陥っていた時に頂いた言葉です。
「小さな雪玉を転がしながら大きな雪玉を作っていくのを連想しなさい。ある点がてっぺんに来ては一番下まで下がる。この繰り返しで雪玉はどんどん大きくなっていく。大きくなればなるほどてっぺん付近にいる時間は長くなるけど、下がった後でてっぺんに戻るまでの時間も長くなる。スランプ、人生はそういうものだと思う。だけど小さな雪玉で満足せずに日々少しずつでも一回りでも大きな雪玉を作るために励むこと。それが大切です。それから、雪玉を大きくするためにはしっかりした固い芯がないとうまくいかない。極意は基本にありますよ。」
今思い出しても、的を得てるなと思ってしまいます。歯科の治療、人生に通じる思い出の言葉です。
 
弓道以外でも多くの経験を積んだ大学時代でしたが、若輩ながら大きな人生の決断も迫られました。大学時代にお付き合いしていた彼女と学生の身で結婚することになったのです(驚)。
 
多くはここでは書きませんが、本当に大変でした。色々な人達に助けてもらって、たくさんの優しさに触れました。感謝感謝の毎日でした。良い決断だったと思います。障害は多かったけど頑張ってよかった。
私の母はもう他界していますが、母に孫の顔を見せてあげられたこともよかったと思っています。
 
ちなみに娘は大学の卒業写真の一コマに登場しています(笑)。
「人生万事塞翁が馬」ですね^^
6 研修医、麻酔科医局員時代
大学卒業、国試合格後は母校である九州歯科大学・歯科麻酔科の研修医として入局します。これからの時代、全身管理ができないといけないという気持ちからの選択でした。
 
1年目の研修医の時は口腔外科の手術の際の全身麻酔や静脈内鎮静法、全身管理とは何ぞやを学びました。研修医終了後の2年目は武者修行の1年でした。
 
小倉記念病院・麻酔科集中治療部と産業医科大学麻酔科で指導医の先生のもとで医科の手術の全身麻酔をはじめ救急救命等の様々な経験を積むことができました。きついことも多かったけど、それ以上に最高に有意義な1年だったと今でもしみじみ思い出します。その後も九州労災病院、北九州市総合療育センター等での診療の経験を積む機会に恵まれ本当に多くの学びが得られました。
7 一般歯科の道へ、勤務医時代
歯科麻酔認定医取得を大きな区切りに歯科麻酔の医局を出て、一般歯科という本来の場所へ戻ることになりました。福岡県と大分県の県境、玄界灘を望む豊前市にある白い素敵な外観の歯科医院で勤務医を3年経験させて頂きました。院長先生と副院長の奥様が麻酔科の大先輩というご縁もありました。院長先生、副院長先生、スタッフの皆さん、医院に関わる全ての皆さんが素敵な方々で、仕事に対する意識も高く、とても学ばせていただきました。駅のキヨスクのおばさんから弁当屋のおばさん、患者さん、皆が暖かかったのを思い出します。
 
1日の患者さんの人数がとても多く、幼児から高齢の方、障害のある方から施設への訪問診療まで幅広い年代の様々な患者さんに愛される大繁盛の地域一番歯科医院でした。第一に患者さんのためにを考える医院の理念は私の目標にもなっています。院長先生の技術、何よりも人間性が多くの患者さんに支持されているんだと実感できたのも、すごく勉強になりました。通勤が当時の住まいから自転車と電車で約1時間、往復で2時間を要しましたが、電車通勤も慣れると快適で、考えをまとめるためのシンキングタイムとしては最適でした。無駄に思えるような1人の時間も考えようによっては貴重ですね(笑)
 
3年勤務させていただいた後、突然の父からの体調不良の一報を受け、当初の予定より早く退職、帰省することとなりましたが、最後までたくさんのことを惜しみなく授けてくださった院長先生には感謝してもしきれません。
本当に楽しく有意義な3年間を過ごせました。
8 長崎への帰郷、現在に至る
父である院長の体調不安から、急ぎ帰郷して、H26年4月から大平歯科で父と一緒に診療を始めました。家族4人での帰郷です。福岡出身でバタバタの中、一緒に付いてきてくれた妻と娘たちには感謝しています。
 
戻ってみると予想より全然元気な父の姿があったのは、複雑でしたが、嬉しいことでした(笑)。
歯科医師を志すきっかけになった父と一緒に働ける、昔思い描いていた自分がここにいます。
 
現在は私と父、そして26年務めてくれている素敵な受付の宮崎さん、患者さんに寄り添う思いやりに溢れた衛生士の入江さん、細かいところに気働きしてくれる信頼に厚い衛生士の仙谷さん、小さい頃から稲佐っ子、ミス大平歯科の受付・歯科助手の太田さん、計6人で日々の診療を誠心誠意行っています。
 
祖父の代から培った地域での信頼、父が大切にしてきた職人の心意気、そして私がそれらを引き継ぎながら今後仲間たちと作り出していく大平歯科にご期待ください。
 
「子供からお年寄りまで安心して通える街の歯医者さん」として高い技術と最高のチームワークで、あなたのお口のお悩み改善の手助けをさせていただきます。
先代院長
略歴
昭和50年 日本大学歯学部卒業 歯科医師免許取得
その後 東京開業医 勤務医として勤める
昭和53年 長崎に帰省 大平歯科で勤務開始(初代と共に5年間)
昭和55年 大平歯科 新築改装 院長を継承 現在に至る
 (長年培った入れ歯つくりの匠の技に自信あり)
 現在、衛生士2名・受付 兼 歯科助手2名の計4名で奮闘中です★
受付 兼 歯科助手の宮崎さんは大平歯科勤務25年の大ベテラン!!
大平歯科、馴染みの患者様のことは全て把握しています☆
衛生士の入江さんは患者さんからの信頼厚い熟練者!
お口の中のお悩みから身の上話まで患者様の視点で最高の治療をサポートします。
衛生士の仙谷さんは若いのによく気がつくしっかり者。
技術的にも優秀で、しかも現在もバリバリ成長中!!
患者様をいつも元気な笑顔でお迎えします^^
受付 兼 歯科助手の太田さんは生まれも育ちも長崎・稲佐っ子☆
何でも器用に完璧にこなす万能選手です。
患者様の中でひそかにファンがいるとかいないやら(笑)。
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